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うたのむこう

違和感をよく感じて生きています。これだ!って気持ちを大事にしたい。

新しい武器を手に入れた。「一手間かけて情報を編集する」

仕事場にて、今日ふと。

 
立場が上の人AさんとBさんがいるとき、「Aさんが求めてくるもの」と「Bさんが求めてくるもの」は違う。程度の差こそあれ、全く同じなんてことはあり得ない。
 
そんなとき、「Aさん軸」と「Bさん軸」を持って、Aさんよりにするか、Bさんよりにするか、それぞれに見せ方変えるか、妥協点を引くか……て考えてました。昔は。
 
今は、Aさんがこう言ってるその理由はこれだな。Bさんがこういう理由はこれだな。プロジェクトを進めるためにはこうすべきだな。って考えるようになりました。「自分」って基準軸がうまれて、「Aさん軸」と「Bさん軸」は参考資料になったのです。
 
 
振り返ってみると、昔は、誰かの評価軸を満たすことにこだわってたんですね。でもそれって、「都合のいい人」。
 
それと、誰かにとって気づかいしなくていい人になりたくて、気ままなキャラで自分なりの気づかいを隠すなんてことも行ってました。で、気づかいに気付かれないことに自己満を得てました。それは「人格を放棄すること」だったかもね。
 
 
一定の評価はもらえても、最高の評価はもらえない取り組み方。
 
感激させるには「相手の予測や期待を外れること」が伴う。分析できるものは、感心に留まっちゃうもの。私が関わることで途方もないプラス価値が生まれることが、手放しの評価に繋がる。
 
 
そんな最高評価を叩き出す可能性のある「自分って基準軸」を持った人が、私の理想像です。
 
今、やっと、言葉にできたけど、ちょっと前まで、この人の在り方憧れるけど、その憧れを一言で表すことはできないわって思ってました。
 
それがいつのまにか一歩近づいておりました。「習慣」とそれを生む「環境」の力は、本当に凄まじい。
 
私に起こった変化のわけは、全体を見通せる場所に置かれたことと、聞く姿勢を持った人に恵まれたこと。これが全てです。
 
しかも、変化の効果は限定的で、どれだけ「環境」に依存してるの?って自分が情けない。条件が整ったときみの発動なのです。環境によって「自分って基準軸」が持てたり持てなかったりするのです。
 
 
このままでは残念すぎるので、安定した再現性を得るために「方略」的に考えておくことにします。
 
どうしたら「自分って基準軸」が持てるのか?って。
 
それは、「特定の人や団体に紐付く情報」と「本質を突く事実」は手間が違うと知ることかもしれません。
前者は「Aさんが求めてくること」「Bさんが求めてくること」みたいな、得た情報そのままの参考資料。後者は「プロジェクトを進めるには」みたいな、独自の視点で切り取った、私の武器。咀嚼したかしないかとか、受動的か能動的かとも、言い分けられると思う。
 
「そうやって一手間かけて情報を編集するスキル」が磨かれると、「環境」が整ってなくても、「自分って基準軸」を持っていられるようになるのかもしれません。