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うたのむこう

違和感をよく感じて生きています。これだ!って気持ちを大事にしたい。

「日本語だけど違う言語を話しているみたい」昨日私はこう話した

私は心の中で人を、話しやすい人と話しにくい人とに2分している。

それは、少し込み入った話をすればすぐにわかってしまう。

 

人間には第六感があるという。

明確に意識はしていないが、経験則から脳が無意識に感じ取るのだという。

私は「第六感」に信頼を置いている。

だから人を話しやすさで2分することも「第六感」だとしか思ってこなかったのだが、

最近、それが私の中で明確になった。

 

 

それは、同じ言語を話しているかどうかということだ。

言語という言葉を使ったが、

 

紡ぐ単語の一つひとつにどういう意味を込めているか。

相手からなにを(どこまで)汲み取ろうとするか。

この2点がおおまかに、一致するか相違するかということ。

 

私たちは同じ日本語を使っていても、それぞれに込められる意味は無意識に相違する。

 

ある人の黄色のイメージは、別の人にとっては違うイメージであるだろう。

ある人はレモンの皮を想像し、ある人は向日葵の花弁を想像し、ある人は卵の黄身、小学生が被る帽子、信号の黄色、サッカーのイエローカード・・

連想される物は様々だろうし、それに紐つく経験や感情も様々だろう。

 

歌において言うならば、

ある箇所に「このフレーズは収める感じで」という私のイメージを伝えるとき

・音量を絞っていく

・テンポをわずかに緩める

・音色を柔らかくする

・音と音の結束を強める

・その次のブレスでフレーズをはじめる

などが含まれる。

これをどこまで読めるかは人それぞれだから、何度か歌ってもらいながら、具体的な言葉を掛ける、歌って示してみせるなどして、時間を掛けて共有する。

 

歌だとこうして、そこで立ち止まりすり合わせができる。

(それがあるがために最初に多くを語らないということもある。)

 

それに対して会話では、相手への配慮をして言葉をつむぐだろうが、それでも相違が生まれないということはない。

 

多くの場合で会話を展開させながら、相手のことを知り、

自分の相手への示し方と、相手の言葉の受け取り方を見つけていかなければならない。

 

つまるところ、私はこれが苦手、かつ疲れるのだ。

そして、あまりに相違がある人と込み入った話をするのを放棄したいのだ。

話が合う人に魅かれるのは、その反面。

 

 

「第六感」が明確になる場合は、私に限ると自分の未熟さが露見することばかりだ。