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うたのむこう

違和感をよく感じて生きています。これだ!って気持ちを大事にしたい。

発声の本質と基本形

プロトコールのルールと本質

各国の代表が集まる晩餐会では、プロトコールというルールが存在します。序列や服装、テーブルマナーなど多くの範疇にわたり明確な決まりがあります。

ただし、それはあえて破られることもあります。どこかの国で、フィンガーボールを飲み水と間違え飲んでしまった日本人に恥をかかせないために、ホスト自らもフィンガーボールを口元へ持って行ったーという逸話が有名です。

このように中心に流れる精神を重んじるために形に捕らわれないという一面があります。そうすると、精神を持っていればそれでよさそうなものですが、やはりプロトコールに定められるルールは基本形として大切にされています。それは、いくつもの決まり事という具体例を通し本質を深めていると言い換えることができるかもしれません。

ちなみに、私が師事した先生は「プロトコールの本質は思いやりの心」とおっしゃられました。

 

 

さて、このお話をマナー教室でうかがった際に、私はうたの人ですから歌についても当てはまるのではないかと考えました。

ちょうどこの頃、人に歌について伝える機会が増え、発声の基本をどう定めるべきか考えていた時期でもありましたのでとりわけ発声の点での基本形について記述します。

 

私の発声の基本形

まずは、私の基本形を提示します。ただし探求している最中ですので、基本形の理想形とでも言い表すべきかもしれません。

私は歌を人によりそうものと考えています。

息をすることや立っていることと同じくらい、健常者にとっては当たり前のこと、自然な作用であると、そうありたいと思っています。現代社会では、ときに息の仕方を忘れてしまう人間や、立つという姿勢が動物的に美しくない人間もいます。それら当たり前のはずのものが出来なくなってしまったのと、歌も同じだと考えます。人は現在歌うことから離れてしまった。そのために見直さなくてはいけなくなっているけれど、本来歌うことは人間に備わっている機能であると。

とても回りくどくわかりにくくなってしまったので、具体的な発声練習の場にそぐうような言葉にすると、「筋肉の作用は最低限であること」。つまり身体の動きにそぐう動きをピンポイントで使うこと、この動物的な美しさが発声の本質であると現在の私は捉えています。

 

表れる声としては、自然なビブラート、伸びのある声、素直で開放感のある声。

 

色々なジャンルを歌う機会がある私は、声楽ではこれに力強い息をプラスし、合唱では軟口蓋などに少し力を入れてまとまりのある声にし、アカペラでは響きのポイントを前に持っていく、など応用させています。

 

基本形を明確にすると

次に私の経験から、基本形を明確にすることで得られたことを書き出します。

基本形を明確にすることは、音色や発声に対する感覚を磨くことに直結する。イメージを実現させる精度が高くなります。

基本形を中心の座標軸で、どのくらいずらせばいいかを測ることができ、再現性が向上する。新しいことを習得するときの飲みこみが早くなります。基本形がないと、方向性を理解しても繰り返すたびにスタンダードがずれていくために、行き過ぎてしまったり感覚がわからなくなったりしていたのが改善されました。

他にも、音色の歌い分けがしやすくなる、他人の声の特徴がどの筋肉の作用によるものなのか判断しやすくなる、想い描く表情が歌に反映される影響が強くなる、などがありました。

 

形骸化はダメ

ここまで基本形があるといいことづくしだよ!と言う雰囲気で書き進めてきましたが、注意したいのが形骸化した基本形では意味を持たないということです。

結局”バランスの問題”などと不確かな言葉に頼るしかなくなりますが、本質を通すためには基本形が崩れることも時としていとわない、ということを必ず押さえなくてはなりません。

こういうところからも、やはりうたとは人生そのものだなと感じます。