うたのむこう

違和感をよく感じて生きています。これだ!って気持ちを大事にしたい。

寝た姿勢での発声について

解剖学の本を読んでいます。 

 

図の一つに、横隔膜の位置というのがあった。

立った姿勢、寝た姿勢それぞれの

息を吐いたときの位置と吸ったときの横隔膜の形が示されていた。

 

息を吸った時も吐いたときも

立った姿勢に比べ、寝た姿勢の方が、

横隔膜は全体的に緩んでいる。(つまり、浅い。)

 

それを見て、ひとつの引っ掛かりを思い出し、活きのいい違和感があるうちに考えねばいけない気がして、勉強の手を止めた。

 

 

寝た姿勢での発声練習

発声練習で、寝た姿勢をとることがある。指導者や状況により様々な目的を込め、取り入れられるのだろうが、特に合唱団の発声という場面では頻繁に使われる印象がある。しかし私はその利点を捉えられていない。

 

ある指導者はこう言った。

「起きているときは胸式呼吸をしている人も、寝ているときはみな腹式呼吸になる。」

そういって寝た姿勢で念入りに発声をし、それから立った姿勢で歌わせた。

「寝たときの楽な呼吸のように、起きているときもそのようにしなさい」

 

腹式呼吸は難しくとらえるものではない、と精神的側面からのアプローチなのか。

寝ているときの息の深さに注目したのだろうか。(実際、横隔膜の動きの幅は寝た姿勢の方が大きいと、図から読み取れる)

寝て歌う、つまり視界が無機質なものとなるなど自分に意識を傾けやすいことを利用したのだろうか。

いつもと違う姿勢を取ることで癖の影響を少なくすることが目的なのだろうか。

考えればいくつも浮かんでは来るが、決定的なものはない。

 

真意はどこにあるのか。

もしくは全てひっくるめて真意なのか。

やはり、わからない。

 

寝た姿勢での発声が行われた時の私の心境を述べると、もっと立った状態で声を出したい、ということだった。

歌は通常立った姿勢で歌うものだ。<立つ>という行為を人間は当たり前に行うが、当然、寝ているときと立っているときでは姿勢制御のために使う筋肉は違う。いつも歌うときの姿勢でない寝た姿勢よりも、立った姿勢で自分の身体の状態を把握したい。歌うための筋肉のウォーミングアップをしたい。そう思っていたから、私は寝た姿勢での発声にいい印象を持たない。

 

しかし、寝た姿勢での発声はある指導者に特有のものではないし、効果を実感する歌い手が多い様子であるから、汎用性のあるものであるはずなのだ。

 

私の勘違いについて

ここで冒頭で述べた<活きのいい違和感のあるうちに>ということに言及したい。

あのとき私は、横隔膜は寝た姿勢の方が起きた姿勢より足方向へ下がらない、ということに対し驚きをもったのだ。明確ではないけれど、寝た姿勢の方が深い呼吸であるというイメージを持っていた。つまり・・と考えたことはなかったが、寝た姿勢の方が横隔膜は足方向へ下がって息がたくさん入っていると感じていたように思う。

似たようなことで数か月前にも、横隔膜は息を吐く時に使われると漫然と感じていたことに気付き驚いたことがあった。

 

このふたつは、今まで偏った視点でしか呼吸を捉えてこなかった自分が露呈するようで、今となってはとても恥ずかしい。

呼吸に関し多くの人から助言をもらって来たし、自主的に情報を集めたりもした。息を吐くことだけでなく、吸うことの重要性も知っているつもりだった。しかし、この一件で自分の世界の狭さを感じた。

そして一方で、これから得ることに対する期待感がいっそう増したのだ。

 

 

・・と、まとまらないが何の想定もなくはじめた記事が私の力量で終着点にたどり着けるわけもなさそうなのでこの辺りで・・

 

解剖学―分担 (1)

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