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うたのむこう

違和感をよく感じて生きています。これだ!って気持ちを大事にしたい。

言葉で考えるか、感覚で考えるか

この前妹と話していた。

 

地元に住んでいたころは、会話のなかで視点や話題がぽんぽんと移っていくことが当たり前だった。そこは発想や刺激に溢れていた。言葉や短い会話のうちに、その裏にどういう背景があるのか読み取る力が長けている人が多かったのだろう。そういったある種の自由さが秩序であった。

 

しかし環境が変わると、それでは何を言っているか分からないと指摘されることが多く、きちんと話の筋道を立て仔細まで話す会話が当たり前なのだと知った。私は窮屈さや鈍重さを感じるようになり、会話をすることが嫌いになったりもした。

 

何が違うのか。形として現れることではなく、的確に一言で表すとしたらなんなのか。私も何度考えてみたか知れない。

 

そんな感覚を妹も覚えていたようで、先日

「言葉で考えるか、そうじゃないかじゃない?」と言った。

 

 

人が発する言葉を、言葉そのままに受け取るのか。

人が発する言葉から、言葉が指示する概念を受け取るのか。

 

前者を<言語型>、後者を<概念型>と呼ぶとし、それぞれの傾向を考えてみた。

 

<言語型>は、納得が多いタイプと置き換えられるだろう。

具体性を大切し、細かなことまで把握することが得意な人である。

思考の際も言葉を使って考えるため伝えたいことと口にする言葉の差が少ない。言葉に迷うのは、どうしたら相手に伝わりやすいか、相手の気を害さないかなど、相手を想って迷う。

 

<概念型>は、気付くタイプと置き換えられるだろう。

色々なものから共通性を見つけ出したり抽象化することが得意な人である。

考える際にキーとなるものが感覚的な「違和感」や「気付き」であることが多いため、伝えたいことを的確に示す言葉を探すために言葉に迷う。

 

 

気付いたこと簡単にを記した。

甘いものが好きか、辛いものが好きか、みたいな小さな違い。
けれど、スイーツめぐりに行くには甘いもの好きと行ったが楽しい。