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うたのむこう

違和感をよく感じて生きています。これだ!って気持ちを大事にしたい。

「ありがとう」の行く先

コンビニに行く。するとだいたい「袋はご利用ですか?」と聞かれる。この時期は「冷たいものと温かいものは分けますか?」と聞かれる機会も増える。
私はビニール袋をいただくこともあれば辞退することもある。冷たいとのと温かいものを分けてもらうことも、一緒にしてもらうこともある。細かなゴミのでる食料を買ったときはビニール袋をいただくが、外出時に飲み物などを買う際は手持ちの鞄に商品のまましまうことが多い。冷たいものと温かいものを買ったときにはかさばるのを避けるためビニール袋を遠慮することが多い。


日本の接客態度はすばらしい。しかしビニール袋を断る私に「ありがとうございます」と返すことはやめてほしい。私は経費節減のためにコンビニでビニール袋を断っているのではない。地球を思っているというわけでもない。自分の都合を考えた結果でしかないのだ。
店員さんもお客様がビニール袋を辞退する度に「経費削減になったわ!ありがとう!」と喜んではいだろう。「地球にやさしい行動をありがとう!」と思ってらっしゃる方もそういないだろう。少なくとも表情を拝見している分には変化は見つけられない。
そんな店員たちを見ていると言葉は形骸化していて、意識の対象は目の前にいる客ではなく上司や客の中に一定数いるクレーマーのみに向いているような気さえしてくる。
背景を考えさせられるから、私は気持ちの先立たない言葉が苦手だ。


言霊という言葉がある。日本に育まれてきた思想には美しいものが多くあるがそのうちのひとつ。言葉とそれを扱う人の関係の本質をつく美しさがある。
私は、人間は言葉で自分の思考引いては在りざまを規定していく生き物であるゆえに、気分にあわない言葉を使い続けると自分の在りざまが言葉に引きずられると考えている。同時に、人間それぞれが自分の持つ言葉への定義は流動的だとも考えている。


このまま「ありがとう」が多用されていくとみんながお互いの気持ちをみとめて感謝しあえるあたたかい世界になるなんてことはなく、「ありがとう」では気持ちがはかれない世界になっていくような気がして、なんだか不安でなんだか落ち着かない。


「ありがとう」の言霊が瑞々しく蘇ることを願って、私は大切に「ありがとう」を使っていこうと思う。