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うたのむこう

違和感をよく感じて生きています。これだ!って気持ちを大事にしたい。

敬語を自己演出の道具にするには「敬度」の視点が欠かせません

 

敬語とは:相手との距離感の演出→自分の演出

 「敬語」というと、「相手を敬うため」「相手に失礼のないように」というお相手の「大切にされたい」「尊重されたい」という気持ちを満たすため、ということをまず思い浮かべるのではないでしょうか。それと同時に、自分が礼儀や礼節をわきまえているかを示す側面も持っています。たとえば……

 

  • 帝国ホテル:格調高さを演出するための敬語
  • 叶姉妹:上流階級、セレブであることを示している
  • 美智子さま:身分が高いから敬語をお使いになる

 

 このように、「相手を高め自分も高める」という作用のある敬語ですが、他にも、「距離感の演出」や「公的な場所であること」を示すためにも使われます。

 

敬語にすればいいはダメ。距離を読み取る心があってこそ敬語が生きる

 以下の5つの文例、どれが正しい敬語か分かりますか?

 

  1. 持ってちょうだい
  2. お持ちいただけますか?
  3. お持ちになっていただけますか?
  4. お持ちになっていただけますでしょうか?
  5. お持ちになっていただけませんでしょうか?

 

 答えは、2~5が敬語ですが、「持ってちょうだい」に対して一つの正しい敬語があるのではなく、4つの正しい敬意表現があります。それぞれ違うニュアンスを持ち、違う場面で使われるため、一つに統合されずに4つの言い回しが残っているのです。

 

 たとえば、社長に対する新入社員の言葉だった場合は「2. お持ちいただけますか?」では「軽い・距離感が近すぎる・ナメられている」と社長に思われるかもしれません。この時に適切なのは「5. お持ちになっていただけませんでしょうか?」であることがお分かりかと思います。

 一方で普段から関わりのあるひとつ上の先輩に対する言葉だったら「5. お持ちになっていただけませんでしょうか」では「急によそよそしいな、何か気に障ることしたかな?」と先輩は思ってしまうでしょう。この場合に適切なのは「2. お持ちいただけますか?」です。

 

 このように、自分とお相手の関係性によって適切な敬語は変わります。その敬語の度合いを「敬度」といいます。

 

 上記の例では「2. お持ちいただけますか?」が一番敬度が低く、数字が大きくなるに従って敬度が高くなっています。ここでポイントになるのは、2~4が敬意表現であるにしても突き詰めれば「持ってちょうだい」といっているのに対して、「5. お持ちいただけませんでしょうか?」になると持つか持たないかはお相手の意思に委ねられます。否定疑問文にすることによってお相手の行動を強制しないというお気遣いにつながっています。この心持ちが最上級の敬語のあり方です。

 

 

敬語の作り方と敬度の関係

 敬語の種類についてはお分かりの方も多いと思いますが、ここでは「敬度」という切り口を用いて、「尊敬語」「謙譲語」「丁寧語」をご紹介します。

 

尊敬語

 目上の方を言い表すときに使われます。作り方は大別して以下の5つです。

作り方1:動詞に「れる」「られる」をくっつける

 話す→話される/来る→来られる

作り方2:動詞に「お~になる」をくっつける

 話す→お話になる/出席する→ご出席になる

作り方3:動詞に「お~なさる」をくっつける

 話す→お話なさる/出席する→ご出席なさる

作り方4:動詞に「お~くださる」をくっつける

 話す→お話くださる/出席する→ご出席くださる

作り方5:動詞を特定の言葉に置き換える

 言う→おっしゃる/来る→いらっしゃる

 

 この5つの作り方、1から5に行くに従って敬度が高くなります。「話される」「来られる」「帰られる」など「~れる」「~られる」を使って敬語にするなど、お決まりのパターンがあるものほど手軽ですが、その分敬意表現としては軽くなってしまいます。反対に、ひとつひとつ言い換えの形を知っておかなくてはならないという教養を求められるものほど最上級の表現となります。

 

 

謙譲語

 相手が高く自分が低いという距離感を演出します。そのためにⅠお相手を高める方法と、Ⅱ自分を低める方法があります。順に作り方をご紹介します。

 

謙譲語Ⅰ:お相手を高める

作り方1:「お/ご~する」

 話す→お話する/案内する→ご案内する

作り方2:「お/ご~いたす」

 話す→お話いたします/案内する→ご案内いたします

作り方3:「お/ご~申し上げる」

 話す→お話申し上げます/案内する→ご案内申し上げます

作り方4:特定型

 合う→お目にかかる/見る→拝見する

 

 敬語と同じくこちらも、数字が大きくなるに従って敬度が高くなります。

 

 

謙譲語Ⅱ:自分を低める

作り方:特定型

 します→いたします/言う→申す/行く→参る

 

 こちらは謙譲語かどうかという違いしかありません。

 

 

丁寧語

 物事を丁寧に言い表すために使われます。敬意の観点でいえば「あまり敬意は含まれない」ものです。「です」「ます」「ございます」などがこれにあたります。最上の敬語が必要なときには、尊敬語や謙譲語を用いた表現で言い換えられるならばそちらに言い換えます。

 

 

敬度は揃えて使うべし

 ざっと「尊敬語」「謙譲語」「丁寧語」の敬度についてご紹介しました。敬度が高い敬語を使えば丁寧になるということではなく、お相手と自分の距離感にそぐった敬度を用いることが大切です。また、お相手に用いる敬語の敬度がバラバラになることも避けなければなりません。

 

 以下に、私の主観で、「お相手のことを言い表す動詞(=尊敬語)」「自分のことを言い表す動詞(=謙譲語)」「文末(=丁寧語)」の敬度一覧表をご用意いたしました。

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 文末の欄の敬度が高いところは空欄にしています。ここは、他に言い換えの言葉があるならそれを優先し、なければ「ございます」を使うという感覚です。このように全体的に、「だいたいこの辺り」ということを示しただけの表ですが、ご参考になりましたら幸いです。

 

 また、よく使う表現の敬度についてもご紹介します。

f:id:utauusaki:20160605201429p:plain

 「すみません」がさまざまなシーンに多用されている昨今、「ごめんなさいが言えない」などという風潮がありますが、「ごめんなさい」は敬語ではありません。「申し訳ありません」「申し訳ございません」と言えるようにしましょう。

 

 

文末の敬度は気づきやすいのでご注意を

いつもお世話になっております、○○でございます。

本日は、楽しい時間をありがとうございました。

心より感謝申し上げます。

今後ともよろしくお願いいたします。 

 

こちらの文章、丁寧に書かれているのですが1点不釣り合いな表記があるのにお気づきですか?

 

それは、最後の「よろしくお願いいたします」の部分です。

それまでは、「ございます」「申し上げます」とできうる限り最上の敬語を用いているのに対し、「いたします」は一つ格落ちしてしまっています。この場合は

 

今後ともよろしくお願い申し上げます。

 

と締めくくると敬度のバランスが取れます。

 

 

おわりに 

 社会人になりたての頃はとにかく敬語を使わなくては!と、学生時代には接しなかった言葉をどんどん取り入れて文章を作成したものです。知っているところを一つずつ敬語に置き換えて文章を作っていました。今でも、一文の中で「いました」と「おりました」をはじめ、敬度がバラつくことが多くあります。私的な文章ではそれもまたいいかな、と思い敢えて敬度を揃えないこともありますが、きちんとした場に出す文章に関しては敬度を揃えることを心がけています。

 敬度がバラバラの文章は公的な雰囲気を醸し出せないということ、加えて「敬度を揃えるという視点」を持って使いこなしている方にとっては、気になってしまうものだからです。逆に、敬度まで心配りのある文章に出会うととても嬉しくかんじていただけます。

 ぜひ、お相手と自分の関係性から敬度を定め、その敬度を軸に文章をまとめるということを行ってください。

 

言葉はそのままでは信じられないから、私なりの公式をもって読み解いてるよ

かんがえ

〈丸く、整った人間になぞ、なりたくない〉

私は偏った人間であることを自覚している。 

そして、それでいいと思っている。
社会に望まれた、人当たりのよい、まあるい人間になぞ、ならなくていい。

 

去年の7月の私が書き残したメモ。
精一杯の強がりが綴られていて、なんだか痛快。
多分、涙目で勢いで打ったはず。
 
 
額面を見ると「偏った人間であることを受け入れている」とか「社会に反抗している」とかって読めるけど、私は言葉を信じていません。
 
 
でも、私は言葉はその人を反映するものだと思っています。
「その人はどういう軸を持ってるのかな?」
ってことを示しているんだと思います。
 
7月のメモだと私は、「偏っているかどうか」という軸、「社会に望まれるかどうか」という軸に拘ってたのね、って読み取ります。
軸を持っているということは、それを自覚せざるを得なかったということで、ちょっぴりマイナスな言葉を使うとそれは「拘り」だと思います。
 
 
たとえば強がりをいう人は、意外と弱いとか。
相手を褒める人は、褒めてほしい人とか。
口癖のように「みんなのこと好き」って言う人は、意外と人間関係に困ってたりとか。
「私なんて……」って言う人は承認欲求が高いとか。
 
よくあることですよね。
 
 
それらって、言葉をそのまま受け取ると、言ってることと思ってることが違うってなるのかもしれないけど、「どういう軸なのか」ってみると結構ストンと落ちたりする。
 
初対面で性格を見抜きたいときとかに、そこそこ有効な手ですよ。
 
 

多くの相談が「うん、それで」で終わる環境がプロジェクトにとって最高の状況かも

何かを相談したり、承認をもらうとき「うん、それで」が一見そっけなく見えて最高の状況でないかと思います。


私は、あるところではプロジェクトを支える立場であり、

あるところではプロジェクトを仕切る立場にいます。

集団で進めるからには、大きな問題から、小さな問題まで共有しなくてはなりません。

下の立場ではなんてことがないように思うことも、鳥瞰してみると意外なところでプロジェクトの根幹に関わってたりしますから、慎重に「報連相」を繰り返すのは大切です。


だから、大小さまざまな相談が生まれてしかるべきなわけですが、その小さいものについて。


「(困った事実)があります。○○と○○(選択肢)の方法があると思うんですが、(こういう理由で)、(こういう選択肢)を取ろうと思います。よろしいでしょうか」

 

って文脈で相談できる人の少ないことといったら……!!

「(困った事実)があります。対応をお願いします」

「(困った事実)があります。どうしたらいいでしょうか」

じゃダメなのよー。。ツライのよー。。


現場で手を動かす担当者と、鳥瞰して全体を考える立場とでは、見えてるものが違う。役割が違うから、上の人では現場のことが分からなかったりする。

だから上の人以上に現場のことを分かってるって自覚を持って、その承認をいただくって形で提案できるとスムーズです。

もち、それが現場のフィールドで起こったことならですが。

 

 

それがちょっと上の方のフィールドに寄ってくるなら、

 

「(困った事実)があります。○○と○○(選択肢)の方法があると思うんですが、(こういう理由で)、(こういう選択肢)を取ろうと思います。よろしいでしょうか。(上の立場から見た視点)のためという認識でこう考えましたが認識の間違いはありませんでしょうか

 

って聞けるといいよね。

上の方は仕事しやすいなって思えるし、今後の相談の省エネに繋がると思います。(頻度でなくね)

 


もしくは、担当者だから分かる業務改善の提案するときにも

 

「(手間のかかっている事実)があります。(こういう点)が(こう改善)されたら(これだけ業務改善される)のですが、構いませんか」

 

って聞ける人が少ない。


現場を全部見て全部に判断を下すのは上の人の役目ではないんだけど、このところを勘違いしちゃう人多い気がする。

上の人は、方向性があっているか、その判断によって別のところに支障が出ないかを見る立場。一つ一つの作業の本質は掴まねばならないけど、微細なところまで頭に入れておく必要はないと思います。それは下の人のマネジメント的にも良くない。

だから、提案するときに、上の人が判断しやすい状態で情報を整えて渡す。加えてその業務のプロとしての意見を添える。上の人は鳥瞰してる立場だからこその見方と現場の見方とバランスを取って決断する。

これが、プロジェクトを円滑に進める方法だと思います。

 

 

こういう相談とか提案の仕方ができていないのに

「上の人が話を聞いてくれない」
「現場の意見を汲みとってくれない」
っていうのは間違いだと思う。

 

 

反対に、上の人も、自分の仕事は現場のことを微細まで把握することではないって伝えもせずに
「あいつらの報告はなってない」
「もっとちゃんと報告しろ」
とか言っちゃいけない。
さらに言うなら、現場の人をそこのプロだって尊重する気持ちがなきゃいけない。


って。

未熟者なのでこれからまた考えが変わると思いますが、

この1年での学びを自戒を込めて書き残しておきます。

 

笑い顔じゃありません、必要なのは笑顔です

笑顔って大事。笑顔ができればそれだけで「すごい人」って言われるようになります。

私、もともと面白くないのに笑うのも大嫌いだし、外見より中身だ!内容大事!と思っていたのが、振り子が揺り戻るように最近「伝え方大事!外見大事!」と思うようになりました。その一環で、笑顔も大事!って強く思います。

 

これもマナーのお勉強をしたおかげ。

必要に迫られて「常に笑顔でいる」スキルを身につけたら、特に初対面の人に「この人すごい!」と思われるようになって味をしめました。

 

昔は、「見かけと違って、いろいろ考えてるよね」って関係が深くならないと認められなかったのが、ファーストコンタクトで認められるようになりました。

たとえば、コンサートのお手伝いをしたときに、お客さんに「素敵な人ですね」ってお声がけいただいたり、スタッフの方に「あの子すごいね」って評価していただいたり。「常時笑顔でいられる」ってだけでお仕事をいただいたこともありました。

そうするうちに、どこかしら余裕が生まれたのか、前より世界がちょっと見渡せるようになりました。

 

笑顔って、こうやって自分に余裕を生むし、他人にスマートな印象を与えるものです。

そうすると、前と同じことをしても、もしくはちょっと手を抜いてことにあたっても、風当たりが変わります。

 

 

ただし、笑い顔ではなくて、笑顔ですよ。大切なのは。

 笑いはアクションなのに対し、笑顔は基本装備なんです。何かに反応して(自分で務めてそうする場合も)気持ちが動くから笑っちゃうのが笑い顔。どんなときも口角を上げていられるのが笑顔。

 

「どんなときも」って悲しいときや怒ってるときは違うんでしょ?

って思うかもしれませんが、悲しいときや怒ってるときでも口角は上げている方々は存在するんですよ。それはハリウッド俳優。アンジェリーナジョリーやブラットピットがそう。どんなときも口角を上げていられるから、どんな表情でも美しいのです。アンジェリーナジョリーのさみしげな表情の哀愁さとかもね、きっと口角上がってるからこそなんですよ。まあ、そんな表情まで「笑顔」とはいいませんけど。

 

 

まわりを見回すと、笑い顔は素敵でも、笑顔が素敵な人って少ないです。

そもそも、笑顔を見つける頻度が低いです。

お話してても笑うときは笑い顔を見せて、そうでないときは真顔って人多いのです。本人は頻度で捉えているのか、筋肉の疲れで捉えているのか、笑顔で応対したって思っていても、お相手にはあの瞬間真顔だったけど大丈夫だったかな?みたいな不安な気持ちが残るものです。

 

一方、あまり笑わなかったとしても笑顔が基本装備の人の方が印象がいいものです。

それって周りへの配慮ができる人にみえるからだと思います。

常に笑顔でいるって、敵意がありませんよ、受け入れてますよってサインで。そう伝わる笑顔が身についてることが、その方の視点の多さとか、相手の立場に立てているかを無意識に連想させるんだと思います。育ちのよさ、教養、お気遣いができるか、みたいな基本装備があるなって判断するんだと思います。

 

パッと見の印象で、

余裕のありそうな人だなー

余裕なさそうな人だな―とか。

 

どこから判断してるの?って聞かれて論理的な説明はスラスラできないかもしれないけど、直感しますよね。そういうお相手に与える直感的な印象って、ある程度は意図してコントロールできるんだなって、笑顔スキルを習得して実感しました。

 

笑顔を基本装備にできるって、かなり有利なんですよ。

 

ただし、笑い顔ではダメ。

ヘラヘラしてて頼りない印象を与えます。

笑い顔って反射で起こるものだから、基本装備になる笑顔とは質が違う。笑顔は敵意がないことを表せるけど、笑い顔は楽しいことの表明でしかない。

仕事の場で間断なく笑い顔になってると不安がられます。興味がキョロキョロうつるひと、集中できない人、信頼できない人って印象になっちゃう。

 

 

笑顔って「手を揃えて使う」みたいな習慣のことだから、習慣づけさえすれば案外簡単に身につきます。私もそもそも筋肉が動かない段階から毎日鏡を見ては筋トレして身につけました。

笑顔が基本装備の人が増えてほしいなー。そうして世間全体に少し余裕がでないかしら。

完璧症候群に罹患しています

気づいてしまった。

抜けた、と思ってたけど、まだこの軸は残ってる。

「完璧かどうか」

「この反応はお相手にとっての最高評価なのかどうか」

気にしてる。気になってしまう。

 

私の向上心はここを起点にしてるし、気に入ってる軸なんだけど、それと良い悪いがくっついてしまっているのがいけない。

 

改善したいなーと思い「完璧症候群」と呼んでるんですが、その症状はこんな感じ。

 

最高評価でなければダメ。

でもいつも最高評価をとれるわけはない。

だから、いつも不安。

これをやろう!と決めたものを信じて実行するのが苦手。

はたから見て考えが一貫していないように見える。

 

常にどうしたらより良くなるかを考えられるところは私の強みでもあるけど、ここは突き進むべきタイミングというときに、より良いものを探してしまう志向性から生まれる漠然とした課題感が「悩み」として動きを鈍らせることがある。

 

私は、未だ、「もし私がすべて最上の選択肢を選べたら?」って仮想敵を頭の隅に育んでる。 

ちなみにこれまで全戦全敗 笑。そらそうだ。

 

〈過ぎたことをふりかえるとき、人間は神になりうる〉

 

これは司馬遼太郎の言葉だけど、VS神様じゃそら勝ちっこない。

勝負を挑むって発想から間違えている。

 

完璧からどれだけ足りないかではなく、前回からどれだけ成長したかをみて生きていくのが正常なんだろうな。

 

坂の上の雲〈2〉 (文春文庫)

坂の上の雲〈2〉 (文春文庫)

 

 

マナーの世界のお気遣いって、形じゃなくてルールが決められている

習い性となるといいますが、マナーのお教室に通い始めてからの3年で、「お気遣い」について考えることが多くなりました。

お気遣いの形って人それぞれだから押し付けになってしまうこともあります。お気遣いをしたのに、お相手にお気遣いと受け取ってもらえないことも多くあるんですね。

マナーの世界は言い切るなら「お相手を信じない」ことから発想するものです。そんな混沌とした世界で気持ちを伝えるには何かしらの基準が必要とされ「プロトコール」という型が設けられました。しかし、その型を守っていれば良いということにはなりません。型を守ることはエチケットに過ぎず、マナーの本質は「型を崩す」ことにあるからです。

その場に合わせて、そのお相手に合わせて型を崩すことがマナーです。

たとえば席次についても「本来あちらが上席ですが、この場では景色がよいお席を上席とさせていただいております」って一言添えること。素敵な方ほど、お相手のことを思って型を崩すことを非常に慎重にとり行います。お相手に選んでいただく形を取る。良いものを押し付けることは美しくないこと。だってその良いものって自分の物指しで測ったものだからって考え方です。

ここまで慎重になるのは、プロトコールが国々の境が近いヨーロッパで生まれ育ったものだからです。「異文化理解」を発端の一つに持つからです。

事前にいろんなことを想定しておいて、その場で多くを察知して、実行するにはお伺いを立てる――こんな方法がまかり通るのは、マナーの世界の中だけなんですけどね。

 

たとえば少し遠くの場所を指し示すとき

「手を肩よりも上にあげて何かを指し示してはいけません。そんなに遠いものを指し示すという状況自体が気遣いができていないということです。もう少し近くまでご案内してさし上げてから、指し示しましょう」

 

これほどまでの気遣いを要求される場は日常にはそうないどころか、これを愚直に守っていればビジネスでは「いい人だけどスマートではなさそう」って思われてしまう。この加減も型を崩すということ。つまり、マナーです。

 

マナーってお堅いものって思われがちだけど、案外使えるツールだなと思います。

実際、そうじゃないと上流階級の方々も身につけないだろうしね。

 

マルクスの『しくじり偉人伝』にみるプレゼンにおける型の設定

噂になっていたので、マルクスの『しくじり偉人伝』を視聴しました。

しくじり先生 俺みたいになるな!!|テレビ朝日

2016年5月2日(月)放送
『人類に夢を見せるだけ見せて大パニックを引き起こしたカール・マルクス

 

オリラジの中田さんが、マルクスがいまでいう「クズなヒモ」であったことや、彼の著書『資本論』がマルクスの死後に現実社会に及ぼした大きなしくじりを、テンポよくテンション高く楽しく解説してくれました。

 

オリラジは、『PERFECT HUMAN』がバズったのをキッカケに、ここのところ「オリラジはコンテンツ力がある」と書かれた記事を目にするようにもなりました。


コンテンツ力って私には馴染まない言葉なのですが、

彼らは自分のことと世の中の流れをよく知っていて、それらが交差するポイントを掴むのが上手いなと思います。しかも、そのための鍛錬も欠かさない。

さまざまな番組で、新しい一面を見せるけれど、同時にいままでの積み重ねを見せることを忘れないから、一貫性があるように見える。深みが増す。賢いなと思います。

 


今回の「しくじり偉人伝」のプレゼンも、構造が美しくて驚きました。


あんな難しそうな『資本論』という題材が、身近にキャッチーに感じられました。どの情報を切り取って、どう見せるかがうまいプレゼンでした。

 

その「どう見せるか」について、特に、ソ連の誕生から崩壊を説明した後半がスマート。 型があって、戦隊物とか水戸黄門とか見てるみたいに安心感があります。それが、どん、どん!、どん!!!と重ねられる。これがクドくならない持って行き方がまた見事でした。

 

具体的には、こんな型に沿ってプレゼンが進みます。


キーワード提示→対話形式で意見を集める→イマジン!(歴史を疑似体験)→パニック!(結果失敗!)

 

番組を見れば感じると思いますが、イマジン!パニック!ってインパクトが凄いんです。演出能力の高さが伺えます。

この型があるのって、テンションというその場だけの問題だけではなくて、番組の趣旨的に、この型さえ視聴者の意識に残ればいいってほど、大事な要素が型になっているのが凄いんです。

 

具体的な事例は覚えられなくても、「良いと思ってやったのに、こんなはずじゃなかった!」って印象が残るつくり。一般化された失敗事例の原因が視聴者に刷り込まれるって、「しくじり先生」として最高の成果なんではないでしょうか。